読書から得る日常の精神

年始に、阿部公房と、カフカの「審判」を読んでしまったのは、
いささか私のチョイスミスであった。

 

いや、本そのものは間違いなく質の高い文学なのであるが、
いずれもとても不条理で、暗い、救いがたい世界を描いたものなので、
読んでいてこちらもドーンと落ち込んでしまったのだ。

 

なんで年始から、めでたい、とは間逆の本を手にとってしまったのか。
おそらく、年明けの浮ついた気分を、自制しようという本能が働いた故かと思うのだが・・・。

 

さてこのように読書が、私の日常におよぶメンタルに与えるインパクトというのは大きい。
物語に対して感情移入しやすい性質をしているので、
明るい本を読めば私も明るくなるし、暗い本を読むと、今回のように激しく落ち込む。

 

言葉の力というのは、とても強いのである。

 

「前向きな言葉を発していたら、人生が好転する」
こういうようなことをうたった本がよく出回っていて、耳にしたことがあるかもしれない。
一見うさんくさいが、私の読書に対する反応の出方を振り返ると、
このうさんくさい、そして前向きなメッセージは、あながちはずれでも無いかもしれない。

 

しかし、阿部公房とカフカは、読む時期としては失敗だったが、
人生道半ばでもう一度手にとってよかった。

 

若いころは、彼らの表現力のみに簡単していたが、書く不条理の深さを、いまいち理解していなかった。

 

社会でもまれていると、次第に、「言いようの無い不快感」を時に感じるようになった。
この「言いようのなさ」を、さあ結局どう言葉で表したらよいのか。
と、悩ましい瞬間が多々あるが、
彼らはもう、何十年も前に、芸術的な極限でもって、
それを言い切っていたのであるから、まさに驚くばかりである。


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